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アメリカンスタイル

アメリカンスタイル誕生、30年代後半から40年代

30年代以前のアメリカファッションの主流はパリのオートクチュールのコピー品であり、依然としてパリがアメリカでも強い影響力を持っていました。1930年代あたりから、アメリカは徐々に自国のファッション、アメリカンスタイルを意識するようになります。

ただし、クリスチャンディオールニュールックが登場したときに、アメリカでも話題になったように、すぐに移行が始まるわけではありません。パリの影響を受けながらも、アメリカ流の要素を加えるなど、30年代から40年代にかけて、アメリカのスタイルを意識したファッションへと変わっていきます。

アメリカファッションの変化の背景

ファッションの既製服化でも取り上げたように、20世紀初頭から産業合理化、既製服化の動きがすでに起こっていました。この動きの中で、仕立てを前提としたファッションデザインではなく、機械生産を前提とした、量産型のファッションの流れがありました。(デザインもシンプル化します。)

30年代からは、ファシズムや共産主義などのイデオロギーが主張される中、アメリカは民主主義を強く強調する必要があり、国としてさまざまな分野のアイデンティティを主張する必要がありました。その一つがライフスタイルであり、ファッションへと影響したのです。国家的なレベルで、アメリカ流のライフスタイル、アメリカ流のファッションが求められていたのです。

また40年代の第二次世界大戦も女性のファッションに大きな影響を与えます。それは中流階級でも、女性が労働をすることが当たり前となり、衣服にも「動き」が求められるようになったからです。このような流れは戦後のアメリカのカジュアルなファッションへと繋がります。

その他、戦時中で言えば、パリのモードが機能していなかったため、アメリカは独自でファッションを作っていかなければいけなかったという要因もあげられるでしょう。

ジャーナリズムの支援

30年代あたりから百貨店・小売店はアメリカのデザイナーや製品を強く打ち出すようになります。このような流れの中で、「アメリカンルック」という言葉が生まれ、ある種のキャンペーンが始まります。このキャンペーンの中心、シンボルとして取り上げられたのが、最も活躍していたファッションデザイナー、クレア・マッカーデルです。

※マッカーデル以外にも、エリザベスホーズなど多くのファッションデザイナーが、同様にアメリカンスタイルを打ち出します。その中心にいたのがマッカーデルです。

キャサリンヘップバーン パンツスタイル

クレアマッカーデルのアメリカンスタイル

クレア・マッカーデルが打ち出していたスタイルはスポーツウェア(カジュアルウェア)をベースにした、シンプルで、性能性の高いファッションです。彼女はヴィオネの影響を受けて、バイアスカットを使用した、着心地の良いデザインを追及します。

このようなスタイルの普及にはハリウッドの映画も大きく貢献します。30年代に活躍した女優、ジョーン・クロフォード、グレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーンなどが大きな影響を与えます。(右の写真はキャサリン・ヘップバーンのパンツスタイル)

マッカーデルはこの時代、衣服の上下が分かれているセパレーツや、キッチンディナードレス(料理ができて来客にも対応できる服)、デニムを使用した服の上からはおるドレスポップのオーバー、ジャージ素材を用いたハイウエストでルーズなベビードールドレス、バレエシューズを日常用の靴に応用したデザインなど、シンプルかつカジュアルなデザインを提案します。

シャネルとマッカーデル

シャネルマッカーデルの方向性は非常に似ていたように見えます。シャネルが活躍したのが10年代以降で、マッカーデルは30年代以降と時代はずれていますが、男性用の素材、労働服にインスピレーションを受けている点、スポーツウェア、装飾よりも機能性、シンプル化を進めた点などさまざまな共通点があります。マッカーデルは20年代、フランス留学の経験があるので、シャネルの影響を少なからず受けているでしょう。

しかしシャネルとマッカーデルには決定的な相違点がありました。それはシャネルは、オートクチュールであり、高所得層にフォーカスしたデザインだったのに対して、マッカーデルは既製服を意識して、幅広い層にファッションを発信していた点です。マッカーデルは、既製服の限界・制約の中で、バイアスカットを用いて女性の身体を最大限考慮したデザインを展開しました。

これは60年代に出てくるクレージュとマリークワントのミニスカートに対する考え方の相違点と近しいものがあります。

この相違点こそ、当時のアメリカのライフスタイルから生まれた、アメリカンスタイル、アメリカンウェイの本質を示すものではないでしょうか。パリとアメリカはファッションのスタートラインが全く異なっていたのです。