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消費社会とファッション

大量生産、消費社会

20世紀初頭、大量生産時代の幕開けを迎えます。その象徴であり、最も効率的に達成したのが、フォードの生産方式です。フォードはT型フォードを、合理的な生産方式によって、一般人の手の届く範囲の製品にしました。それは分業制を用いて、人件費を抑え、生産効率を拡大するもので、労働を単純作業化するものでした。このような大量生産システムはフォードの名前からフォーディズムと呼ばれます。ファッション業界もやや遅れて、20年代に既製服化への動きが始まります。

ファッションの工業化

19世紀前半にミシンが発明され、ファッション業界でも工業化、工場生産の動きはあったのですが、お針子の仕事がなくなるといった反発や、人それぞれサイズが異なると言った問題からスムーズに工業化が進んではいませんでした。(イギリスでは工業化の中でラッダイト運動など反機械的な反動が起こりました。)

しかしアメリカからミシンの商品化が始まり、既製服産業が奴隷・農業従事者のための労働服から徐々にスタートしました。労働服からスタートしたのは、サイズの調整、縫製の問題などクオリティが低かったためです。この時代は、クオリティや美しさを考慮すると、仕立ての方が良いと考えられていました。

ファッションの既製服化

1920年代になると徐々にファッションの既製服化が始まります。その背景となる大きな理由は2つあります。

1つ目は、直線的なシルエット、ファッションのシンプル化です。シンプル化はパリモードではシャネルジャン・パトゥなどデザイナーが打ち出していました。流行の構造がシンプルになったことから、当時の既製服の技術でも、そのスタイルを真似ることができるようになりました。

2つ目は、サイズの標準化が進んだ点です。アパレルメーカーが主導となり、身体のデータを集めて、体系のカテゴライズが進みました。(今でいうS、M、Lといったものです。)

このような背景の中で、徐々に、ファッションも仕立てから既製服への動きが加速していきます。

消費時代と、製品のファッション化

大量生産による消費社会の中では、モデルチェンジ、異なるデザインの打ち出しが必要になります。これは、パリモードにおける、1年に2回の発表し、スタイルを徐々に変えていくシステムが参考にされます。古いものを捨てて、新しいものに切り替えていくスタイルです。

20世紀の初めに活躍したポール・ポワレのデザインは、20年代、別のスタイルを提案するシャネルなどの勢力に逆転され、衰退していきます。これはその一例で、クチュールの業界ではすでに当然のように起こっていたことです。

自動車業界でも、フォードが1920年代にGM(ゼネラルモーターズ)にシェアで逆転されてしまいます。その要因として、GMのモデルチェンジや多種多様なデザインへの対応力、スタイルの打ち出し、などがあったと言われています。フォードの車はどれも同じようなデザインで、多様性に欠けていたのです。

大量生産、消費社会の中では、既に車を持っている層の人々に対して、新しい車を買って貰う働きかけ・刺激が必要となります。(単純に説明をすると、モノが大量に作れる分、大量に売らなければなりません。)そのためには機能以外にも、デザインなど新たなスタイルの提案により、需要を作り出していく必要性が生まれます。

このような背景から、ファッション以外の業界にも、ファッション業界の手法が取り入れられます。モデルのチェンジ、新しい装飾、デザインの打ち出し、パッケージの改良などがそれにあたります。(そして、産業デザイナーと言った職種が登場するのもこの頃です。)