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ミニスカート

■ミニスカートの起源

ジバンシーサックドレス(シュミューズスタイル)が徐々に変化してミニスカートになったと言われています。

ジバンシーは当時の理想の女性像とは対極にある女性、オードリーヘップバーンと数々の映画で組み、一つのスタイルを作りました。オードリーヘップバーンのファッションは日本でも流行しますが、当時、彼女が出てきた頃は異例の存在でした。今でこそ「妖精」「伝説の女優」と言われますが、最初は「ファニーフェイス」「痩せっぽっち」でした。

ちなみにジバンシーはオードリーの衣装を映画で手がける際に、「ペップバーンはキャッシーじゃないのか」と口にしたことが今では伝説となっています。

※キャッシーとは30年代後半から長期にわたってハリウッドに君臨した大女優、キャサリン・ヘップバーンのこと。アカデミー賞主演女優賞を4回受賞した女優は彼女しかいない。

■マリークワントとミニスカートの登場

60年代のロンドンで若者文化の集まる場所、ストリートファッションの発祥の地はキングスロードのチェルシー地区でした。このチェルシー地区のファッションを着こなす女性はチェルシーガールと呼ばれていました。

またこの時のロンドンは、スウィンギング・ロンドンと呼ばれ、ミニスカート以外にも、モッズなどのスタイルも生み出します。

音楽ではビートルズ、ローリングストーンズ、美容師ではヴィダル・サスーンなどイギリスの文化は旋風を巻き起こします。

ミニスカートはこのようなチェルシーガールのスタイルの中から自然に生まれたもので、実は誰かの発明ではありません。マリークワントが発明したものという意見もありますが、そうではありません。マリークワントは、トレンドセッターであり、チェルシー地区のファッションそのものであり、より多くの人のために初めてミニスカートを商品化したデザイナーだったのです。

そのような点でマリークワントは20年代のシャネルのようなカリスマ性をもった人物だったと言えます。ただし、マリークワントはシャネルとは異なり、マスマーケット、等身大の若者のレイヤーに自身を置いていたので、当然商品もマス的な展開を示します。

チェルシーの流行をそのまま表現するクワントのスタイルは、ミニスカートに、ヴィダルサスーンのカットしたショートボブの髪型です。

こうしてマリークワントの影響を受けたデザイナーも登場し、ミニスカートは徐々に普及していきます。60年前後にロンドンで生まれ、65年にオートクチュールコレクションで、クレージュが発表して、世界的にも普及が加速しました。

日本ではツィギーの来日を機にミニスカートが大流行します。