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ディオールのニュールック

戦後のファッションニュールック

1947年S/Sコレクションでクリスチャン・ディオールが独立後初めてのコレクションとして発表した新しいシルエットは、世界的なセンセーションを巻き起こしました。「ニュールック」です。

ポイントはしたゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、長くてフルなフレアースカートが特徴です。これはその型から数字の「8」を当てはめたライン「8ライン」とも呼ばれます。戦後、46年までのボールドルックと比較するとエレガントな女らしさを強調した平和のシンボルと言われました。この時代スキャパレリバルマンも8ラインと同様のウエストを細く絞ったラインを発表し、トレンドとなりました。

ファッションの流れ

ニュールックは47年の時点では「新しい」ルックといえたのですが、歴史的に見れば、これはリバイバルです。それは16世紀以降女性服の基本型の現代的アレンジと言ってもいいでしょうが、これは時代に受け入れられました。戦時中は女性らしさを抑制したストイックなファッションが中心でしたが、戦後解放され、より女性らしさを強調するファッションを時代は求めていました。ディオールはこれに答えるかたちで「ニュールック」を発表しました。「平和のシンボル」と言われる由縁です。

ただし、ディオールのニュールックが過去のスタイルと全く同じかと言えば、そうではありません。コルセット、クリノリンの時代は装飾がふんだんに施されていたのに対して、ディオールのファッションは装飾を注ぎ落としたシンプルなデザインです。テーラードの技術は現代的なテクニックが使用されていました。

48年以降、基本は8ラインが続くことになりますが、ディオールは「ジグザグライン」「ウイングルック」「バーティカルライン」「オブリークライン」と8ラインに少しずつ変化をだしていきます。変化が出てきたのは50年A/Wバレンシアガのコレクションあたりからです。

時代の流れ 

オートクチュールの世界ではパトロン(パトロン:芸術家らの活動を支援する資産家)の支援を受けて、ディオール等のデザイナーはジャーナリズムの脚光を浴び、成功を収めてきました。アメリカの既製服業界には全面的に受け入れられていたとは限りません(戦後、ヨーロッパはアメリカの影響を強く受けていたため、アメリカの既製服業界の意向も考慮しなければならない状況だったのです)。それは「ハイファッション」すぎたからです。しかし、戦後50年中ば、ヨーロッパの経済状態の安定化と共に、オートクチュールも独自性と主体性を回復しだしてきて、一時オートクチュールは復活しました。

しかし、パリがファッションにおける絶対的な中心である状況は次第に変化していきました。戦後の大衆社会において、ごく限られた人たちのための少量のオートクチュールではなく、大量生産が必要になりました。そんな中、イタリアとアメリカでは新たに独自のファッション産業が発展していくことになりました。