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プレタポルテの発展

■プレタポルテとは?

プレタポルテは、すぐに着られる服(=既製服)という意味を持ちます。フランス語で「準備が出来ている」という意味のプレ(pret)と「着る」という意味のア・ポルテ(a-porter)を合わせた造語です。もちろん、プレタポルテがでる以前から既製服はありましたが、一般的には大量生産の質の低いもので、差別化を図るために、プレタポルテと呼ばれました。日本語に訳す際には「高級既製服」と言われることが多いです。

■プレタポルテへの変化

プレタポルテへの変化の背景には社会的な変化の中で上流階級の生活スタイルが変化したという理由が挙げられます。貴族、ブルジョワジーから裕福層が高級ビジネスマン、キャリアウーマンなどへとシフトしていきました。アメリカなどの裕福層も、より実用的な服の方がよいといった風潮も出てきます。このような背景のもと徐々にオートクチュールの顧客も減っていきます。このような流れの中でオートクチュールの顧客は減り、経営難に陥るメゾン(ブランド)が続出します。

■プレタポルテへの流れ

59年、ピエールカルダンがオートクチュールのデザイナーとしては初めてプレタポルテを発表しました。そして、60年代半ばにはいると、プレタポルテの勢いが徐々に大きくなってきました。

1965年、イヴ・サンローランがプレタポルテのブティックを開店、これは象徴的な出来事でした。イヴサンローランのブティックが位置した場所も象徴的でした、セーヌ川左岸は、オートクチュールのメゾンが並ぶセーヌ川右岸に対した位置付けだったのです。

クレージュもプレタポルテに進みだしました。こうして多くのオートクチュールのメゾンが本格的に既製服部門の拡張を実現、プレタポルテに力をいれるようになりました。

戦後生まれた世代が成人し、若者(10代から20代前半)の人口比率も戦前2倍程度まで増えました。若いエネルギーの勢力が増し、ストリートの勢いも強まっていました。ロンドンではミニスカートの登場や、マリークワントなどのデザイナーが活躍していました。

プレタポルテ初期を引っ張ったデザイナーはケンゾーです。デザイナーの高田賢三は60年代パリに渡り、70年に初めてコレクションを開催、70年代にプレタポルテを引っ張る代表的なデザイナーとして活躍します。

象徴的な出来事は68年、バレンシアガの引退でした。彼は「プレタポルテを発表するには年をとり過ぎた」という言葉を残し、ファッション業界から去ります。

■プレタポルテの形式

プレタポルテは組織としてではなく任意的に行われていました。構成など手法はオートクチュールの様式を引き継いでいました。