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ヒッピーファッション

■ヒッピーの登場

60年代、アメリカではベトナム戦争の反戦運動、人種差別の反対(公民権運動)、フランスでは学生を中心とした5月革命、日本でも学園紛争などが起こります。ヒッピーは近代の政治、社会などへの疑問から出発し、「ラブ&ピース」の理想を掲げ、一つの対抗文化を生み出します。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)はその時代を象徴する曲とされています。69年、ニューヨーク郊外で、今や伝説となる、「ウッドストックフェスティバル」が開催され、50万人のヒッピーが集まります。

ヒッピーファッションヒッピーは60年代後半の最大のサブカルチャーでした。ドラッグ、音楽、ファッションが融合して生まれた文化です。

■ヒッピーファッション

このような背景の中で、ファッションは自らのイデオロギーを表現するものとして定着してゆきます。

メインで取り入れられるのはTシャツ、ジーンズやフォークロアなど。ジーンズはもともと作業着等に使用されてきましたが、ヒッピーや反戦を唱えるフォークシンガーが着用し、若者の文化に定着していきます。

フォークロア・ファッションは60年代半ばから広まっていました。フォークロアとは、民俗風習、部族の衣装の特徴を用いたファッションで、インド、アフリカ、東欧、中近東系の衣装やアクセサリーのスタイル・要素が取り入れられます。(70年代、ケンゾーがハイファッションの世界でもフォークロアやエスニックファッションを取り上げます。)

代表的なスタイルは長髪にヒゲをはやし、刺繍の入ったカフタン、バンダナ、スカーフなどになります。カラーは花柄やカラフルで、様々なカラーを混ぜた混沌とした色が使用されました。

また意図的に「服を着ない」というスタイルもでてきました。男性はもちろん、女性でさえも裸になることもありました。ボディペインティングも同時に出てきます。

■ヒッピーの終焉

70年代に入ろうとするかの時期にヒッピーは長い髪を切って、もともとあった社会の一員と戻ります。

その背景にはさまざまな理由があるでしょうが、一つには反戦運動や学生運動が過激化した点、ヒッピーがカルト集団化して事件も起こります。「戦場のピアニスト」で有名なロマンポランスキー監督の妻で女優の、シャロン・テートを殺害する事件も起こります。彼女は殺害された当時妊娠していました。

ヒッピーの活動でベトナム戦争は止められなかった点、ヒッピーを引っ張っていたミュージシャンのジャニス・チョップリン、ジミ・ヘンドリックスがドラッグ中毒で死んでいくといったことも一員に上げられるでしょう。

このように理想とはかけ離れていった世界が、ヒッピーの終焉へと導きます。

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