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オートクチュールでのミニスカート

オートクチュールでミニスカートを発表

1965年、クレージュはオートクチュールコレクションでミニスカートを発表します。股が露出することで全体のプロポーションが新しくなり、これまでのハイファッションにはないエロティシズムが生まれます。

クレージュのミニスカートは、マス向けには大評判になりますが、オートクチュールの世界では酷評されます。シャネルも「膝をだすなんて醜い」と語ったほどです。

しかし、クレージュをきっかけにミニスカートは世界中で大流行します。クレージュが取り上げてすぐに、ミニスカートの流行に火がいたのはすでにその時、ミニスカートが普及するらめの土台が整っていたからです。

ミニスカートの普及

クレージュをきっかけにミニスカートは大流行しますが、これはクレージュが初めて世に出したわけではありませんでした。(ハイファッションの世界では初めて取り上げますが。)

クレージュが取り上げてすぐに、ミニスカートの流行に火がいたのはすでにその時、ミニスカートが普及するらめの土台が整っていたからです。ストリートファッション(街から生まれたファッション文化)がハイファッション、そしてマスファッションに波及した出来事でした。

ミニスカートはもともとミニの元祖と言われているマリー・クワントなどストリート系の小さなブランドが取り上げており少なからず話題にはなっていたこと、若者がもつ反体制的な精神に響いた点などの背景のもと、ミニスカートはアメリカ、イギリスなどで大流行してゆきます。

クレージュのコレクションの後、日本でもアパレルメーカーがミニスカートを取り入れましたが、一大ブームとなったきっかけは、1967年に当時のスーパーモデル・ツィッギーが来日した時でした。ツィギーの影響で日本でもミニスカートをはく女性が爆発的に増えました。

クレージュとマリークワントの違い

クレージュとマリークワントともにミニスカートを発表しますが、両者の違いは、その立ち位置にあります。クレージュはあくまでハイファッションの世界に身を置いており、長年目指していたのは合理的で、直線的なシルエット、動きにも強いシルエットの中の表現です。

ミニスカートもその一つで、誰もが着ることが出来るミニスカートというよりは、高級な服を着る層の顧客が、清楚に着こなすことができるミニスカートだったといえます。

対してマリークワントの立ち位置は、あくまでチェルシー(ストリート、ロンドンのファッション地区)で、その先に目指したのは、マスマーケット、等身大の若者のレイヤーです。チェルシーのサブカルチャーを、世界の女性に対して普及させるための展開を示します。