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パンクムーブメントの終焉

セックスピストルズの解散

セックスピストルズの過激な行動は徐々にエスカレートし、かつ方々で問題が起こります。パンクに反対する勢力からは、各地で怒号を浴びせられ、暴力沙汰の事件に発展するケースもありました。最大の事件は77年のエリザベス女王の在位25周年記念です。ロンドンの中心を流れるテムズ川でライブを行った時には、マクラーレン、ヴィヴィアンウエストウッド、セックスピストルズが警察に捕まってしまうといった事態に発展しました。

このような騒動の中で、ヴォーカルのジョニー・ロットンが脱退し、78年にセックスピストルズは、約3年の活動で解散します。ロットンは後にパンクのファッションなどスタイルに対して、政治的な思想など、大きな意図はなかったと語っています。

これはパンクファッションの終焉をに等しいものがありました。

パンクムーブメントの終焉

70年代の終わりに近づくと、「セックス」、ヴィヴィアンウエストウッドのファッションは次々にコピーされるようになり、パンクが斬新さを失っていました。他のデザイナーでもパンクのファッションを取り入れるようになります。マクラーレンは関心を失ってパリに渡ります。

ヴィヴィアンはファッションを継続しますが、パンクから離れ、徐々に伝統や歴史といったスタイルの研究、打ち出しへと向かっていきます。

こうして、「ムーブメントとしてのパンク」は70年代末に終わりを告げますが、美しく見せるファッションのアンチテーゼ、反抗の象徴など、さまざまな解釈の中で、パンクファッションはいまでも多くの若者に取り入れられるファッションの一つとして存在しています。

その後、パンクに影響を受けたデザイナー、ジャン・ポール・ゴルチエアナ・スイ、日本ではナンバーナインアンダーカバーなどが活躍します。