イヴ・サンローランとクレージュ
■スポーティブ・ルック〜イブ・サンローランの活躍
ファッション変化が生まれだしたのは63年のスポーティブ・ルックあたりからです。これはそれまでのファッションの延長線上にあるもので、新しいシルエットが出てきたわけではありませんでした。
ファッションの世界では、スポーティー(sporty)とはドレッシー(dressy)の反対用語で軽快でインフォーマルな感じの服装をいい、スポーツウェア(カジュアルウェア)をさします。
スポーティブ(sportive)とはスポーティーとは違った意味で用いられました。それは労働者階級の服、作業服やスポーツウェアなどの形式や部分の要素を入れて、ハイファションにしたものを指し、これまでのハイファッションの流れと異なる次元から生まれたものでした。
イメージするところそれまでの上流階級のファッションから下に下がったのが、労働者階級のファッションからより上流に上がったのがスポーティーです。
具体的には、アニマルプリントの布地、水兵服、スキー服、紳士服用の生地などが使用されました。この流れの中心がイヴ・サンローランであり、バレンシアガなども代表として上げられます。
■クレージュ〜新しいファッション:65年
クレージュは2つのテーマを上げます。
1つがミニスカート、もう1つが幾何学ラインです。
ミニスカート…これにより股が露出することで全体のプロポーションが新しくなりました。またこれまでのハイファッションにはないエロティシズムが生まれました。(ミニスカートはストリートファッションから生まれましたが、ハイファッションの世界に持ち込んだのはクレージュです。詳細はオートクチュールでのミニスカート)
幾何学ライン…建築的な裁断法で生み出す服。具体的には、ウエストラインを完全に開放して着易く造形処理が行われ、見た目が幾何学的、建築的に見えます。この流れがサンローランの「モンドリアン・ルック」に繋がります。
他のデザイナーも同じ方向へは進んでいたのですが、クレージュほど一貫して合理的なシルエットを徹底的に追求したデザイナーはいませんでした。
■クレージュ、プレタポルテへ
ミニスカートの登場は、ストリートファッション(街から生まれたファッション文化)がハイファッション、そしてマスファッションに波及した象徴的な出来事でした。※詳しくはミニスカートの登場をご覧ください。
この後、クレージュは自身のファッション哲学を貫くため、より若い人向けにコレクションを出す決断をします。そして翌シーズンからはプレタポルテに集中するようになるのです。流れはすでにオートクチュールからプレタポルテに傾いていたことを考慮すると、この考えは非常に合理的なものと言えるでしょう。
ストリート文化やマスファッションの力が徐々にファッションの中心を占めるように変化しだしていたのです。
■プレタポルテの発展
60年代半ば、プレタポルテの勢いが徐々に大きくなってきました。1965年、イヴ・サンローランがプレタポルテのブティックを開店、クレージュはプレタポルテに進みだしました。また多くのオートクチュールが本格的に既製服部門の拡張を実現、プレタポルテに力をいれるようになりました。
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